長文です!お時間ある時、暇な時にでも興味のある方だけお読み下さい!
動物には直接関係ないお話になります!
先日、館内を歩いていたら小学生ぐらいのお客様にこんな質問をされました。
「ペリカンは何回死ねるの?」
(直接こう言われたわけではなく、聞いていくうちに質問の意図がわかりました。)
以下会話形式↓
シミ「1回だけだよ?」
小学「1回で終わりっ!?」
小学「じゃあラッコは何回?」
シミ「1回だけ。命は皆1つだけだよ。」
小学「えー!じゃあお兄さんも1回???」
シミ「そうだよ。」
小学「僕は???」
シミ「一緒だよ。」
小学「うそーっ!?そんなのやだー!」
このあと、なにか叫びながらタッチングプールの方へ走っていきました。
彼にとっては何気ない質問だったのかもしれませんが、凄く考えさせられました。
どうして、そんな考えになるのか。
ある程度早い遅いはあるにしても、小学生にもなれば、命の重さは理解出来るはず。
そういえば、自分はどの段階で「命は1つ。死んだら終わり。それは生きるもの皆一緒。」と言うことを理解したっけ?
誰が教えてくれるの?
何から学ぶの?
そもそも、どうして何回?という回数制限があると結論付けされた質問だったの?
それはそれはもう色々と考えてしまいました。
私の場合、幼いころから生きものを飼う事が好きだったので、沢山の生きものの命の終わりを見てきた「経験」から学んだのだと思います。
では、「経験」から学ばない場合「生きものの命は1つ」と言うことを学ぶには?
思い付く限りでは、
・家族から教えてもらう。
・学校の先生、保育士さんから教えてもらう。
・絵本やアニメや映画から知る。
と言ったところでしょうか。
しかし、「死」というとても複雑なカテゴリーについて家族以外が小さな子どもにハッキリと伝えることは、今の時代ではなかなか難しいような気がします。
「残酷な描写だ!」
「他に言い方はないのか!」
など、過剰に反論が来そうな現代社会。
伝えるべき人間が萎縮してしまいそう。
家族に関しては、そういう機会がない限り「それではお勉強しましょう」みたいな流れにはならないですよね。
また、ゲームの存在も忘れてはいけないですね。
今や「スマホもってるの!?ゲームしてるの!?え!?君いくつ!?」みたいな時代ですからね。
「何回?」という表現はゲームにおいては当たり前の表現ですね。
残機、ライフゲージ、ヒットポイント、復活回数、そして、ゲームオーバー、などなど。
そして、ゲームなどに関連して思い付く事として、仮想キャラクターと現実の生きものの類似点が多くなってきている気がします。
そりゃこれだけ二次元文化の豊かな日本ですから、仮想キャラクターも数多に存在し、構想の根っこに実在する生きものを持ってくることもあるでしょう。
事実、Twitterで「セイウチ」と検索をかけると、何かのゲームの話が沢山出てきます。
これらのことから「ペリカンは何回死ねるの?」という質問が生まれたと考えれば理解できなくもないですね。あくまで推測ですが。
水族館の飼育係をしてそろそろ10年目に突入しますが、「色んな生きものの存在」「色んな生きものの素晴らしさ」「色んな生きものの大切さ」を伝えようとやってきました。
しかし、もっと根本の「命の大切さ」もしっかり伝えていかなくてはと見つめ直すいい機会になりました。
そして、水族館も時代の流れに合わせて「伝え方」を変えていかなくてはいけない、という課題も生まれました。
小学生のお客様の何気ない小さな質問。
そんなちょっとしたことですが、沢山の事を考えさせてくれたことに感謝させていただきます。
ありがとうございました。
※ここに書いたことはあくまでシミズいち個人の見解&推測&感想です。
ただ、飼育係として思い、悩んだ事だったので飼育日記にまとめてみました。
また、シミズは鳥羽水族館職員内で一番のFPS&TPSゲーマーであることをここに宣言します。(MG○まだかなぁ!)