エッセイ
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マングローブ林観察記
大山 桂
終戦後、バンドンからチコレの海軍集結地にしばらく居たが、マラリアで海軍病院に入院した。
二ヶ月余りで退院して体が最良の状態であったのに、老弱者部隊に入れられて、シンガポールの南にあるレンパン島に送られた。
レンパン島では老弱者でも畑仕事をさせられたが、私は事務の仕事をしていた。
干潮時の昼の休みには裏のマングローブ林の中に行って採集した。
四方、林の中に川(実は澪)が流れていて、そこは砂底でオオカニノテムシロやシオヤガイなど海の貝が居る。林のど真ん中に海の貝が居るのはとても変な感じだった。
マングローブの分木するところにマクラガイがいた。ヒラマキアマオブネもガンゼキモドキ(クリイロバショウ)も採れた。泥の上にはダルマカワザンショウが点在していた。センニンガイやヒルギシジミの死んだ殻も得られた。
後年、センニンガイはマングローブ林の下で針をまいたようにいるところを見た。また、ヒルギシジミは西表島でマングローブ林の泥中に多産したのを知った。
レンパン島のマングローブ林の外側には低潮時サンゴ石灰岩が露出するところがあって、稀に豹が出たり猿の群が来たりした。
別の海岸では遠浅の砂浜で魚を追い込む柵があった。柵はマングローブの枝だったのでマングローブ林にしかいないと思われたウズラタマキビが柵の棒の上に もいた。浜には貝類相が乏しかったが死殻を少々採ったに過ぎない。砂浜に落ちていたリュウキュウカタベを拾ったら中から魚が飛んで出たので、驚いてほりだ して拾い直した。
レンパン島には2~3ヶ月いて復員した。
復員の次の年に地質調査所に入所し、8月に風の盆で名高い富山県八尾町に化石調査に行った。調査に出かけて驚いたことに、化石種だがセンニンガイもヒル ギシジミもガンゼキモドキもウズラタマキビも出てきた。これはマングローブ沼沢に違いないと学会で発表した。それを新しがりの京大教授がうらやましそうな 顔で聞いていたが、マングローブ沼沢は行き過ぎだと裏で悪口を言っていた。
それから10年後には花粉や胞子の化石の研究が始まり、その2~3年後に日本各地の中新世にもマングローブの花粉が報告されて、私が公表した20年後に、マングローブ林の存在は地質学者の常識になっていた。
雪国の富山県の中新世には熱帯性のマングローブ林が生えていたことは夢のようではないか。